自分の感情を排除し、”こうすべき、こうあるべき”というものにずっと縛られてきた。
感情をまともに感じていない。
勉強すべき、練習すべき、家事、育児、仕事・・・ちゃんとしなければ。しっかりしなければ。
ちゃんとできなければ、自分は何故できないのだろう?と思って、改善方法をずっと模索してきた。
結果、できるようになった事もあれば、そうでない事もある。
これまで、できなかったらダメなんだとずっと思っていて、でも、そうではないらしい。
・・・
晴と雨があり、それぞれのメリット・デメリットがあるように、
夏と冬があり、それぞれのメリット・デメリットがあるように、
人にも、”できること”と”できないこと”があり、それぞれにメリット・デメリットがある。
自分にできない。
その現実を受け入れる。そして悲しむ。それでいい。
できなければ悲しめばいいだけ。
”できなければいけない”と思い込みすぎている。
賢くなければならないわけではない。
”できる・できない”が共存することが自然であるため、
できない自分を排除すると、均衡を保つために、もっとできない自分が現れるらしい。
できない自分を排除しないで受け入れる。
全てにプラスとマイナスがある。
できるできないに関わらず、やりたいと思ったことをすればいい。
できるできないが自分の価値ではない。
・・・
なぜこんなに悲しいのか。
違和感を感じるのか。
それは、もしかしたら
”温度差”なのかもしれない。
自分が思っている思いとは裏腹に、まわりはそうではないようにみえる。
単純に、いいものを創りたい。
使う人に喜んでもらいたい。
既存の建物には、今まで風雨や地震、多くの災害等に耐えてこられたことに敬意を表し、よりよいものに改修にしたい。
単純に、そう思っているだけなのだけど、
まわりは違ってみえる。
違ってみえるだけで、本当は同じ思いなのかもしれないけれど。
色々な考え方があるし、正誤はない。
でも、ああ、同じ方向ではないんだなと、
自分の思いだけが、ただただ空回りしているような感覚。
もっと話してみないことには分からないけれど。
考えは違って当然ではあるとは思っている。
まわりと違うかもしれないが、自分は自分の感情に素直に、やりたいと思ったことをしていければと思う。
それが難しいのではあるけれど。。